

秋商硬式野球部OB会会長 高22期卒 加藤肇
先に行われました、OB会の総会におきまして佐川会長の後を引き継ぎ会長を仰せつかりました。微力ではありますが、OB諸氏のご理解ご協力を頂きまして、OB会の運営にあたりますので、よろしくお願い致します。
今回、理事長の長坂氏のご尽力によりまして、秋商硬式野球部のホームページを開設することになりました。内容の充実等様々な課題もありますが、リアルタイムの情報を発信したいと考えておりますので、皆様方からの情報もお寄せ頂きたいと思います。
さて、昭和35年、36年にエースとして4期連続甲子園に出場し、秋商硬式野球部の黄金期を築き、後に母校の監督に就任しましたが、不慮の事故によりお亡くなりになり今年で30年になりました、恩師であります故今川監督の思い出を述べたいと思います。
30年前の衝撃的な出来事(故今川監督の思い出)
1976年6月18日午前5時30分頃、先輩からの電話により、訃報が告げられました。恩師今川監督(享年35歳)が実家を目前にした大館市で、交通事故により死亡したとのことでした。あまりの衝撃に受話器を持ったまま、腰から崩れ落ち、その場にしゃがみ込んでしまいました。気を取り直して今川監督の自宅に向かいましたが、涙が止まらず車の運転がよくできたものと、今でも不思議であります。
当時24歳の私は、今川監督のもと野球部のコーチとして手伝いをしていましたが、当日は能代選抜大会が始まる日で、部員たちの動揺は推して知るべしで、大変なものでした。極限の精神状態で試合に臨み、接戦を制して辛うじて優勝することができました。
このチームは、今川監督が就任して10年目にして最強のチームに仕上がり、前年には2年生を主力として甲子園に出場し、3回戦で磐城高校に惜敗しましたが。武藤主将を中心に強力打線を売りに、2年連続出場は当然として、マスコミの前評判でも甲子園で上位を狙えるのではないかとみられていました。
県予選では圧倒的な強さを発揮して、甲子園大会に出場しましたが、今川監督から采配を引き継いだ私の未熟さもあり、2回戦で天理高校に延長の末敗れました。
当時を振り返って考えますと、今川監督の理想としたチーム像は、金属バットの導入とともに強打を売り物として、それまでの名門校といわれるチームを次々に打ち破って甲子園で旋風を巻き起こした、蔦監督が率いる池田高校ではなかったかと思っております。このようなことから中学生の勧誘にあたっては、体格の良いパワーのある選手に声をかけておりましたし、入学後も、とにかく重いバットでのティーバッティングや素振りを多く選手にやらせておりました。
今川監督は就任以来、決して順風満帆ではありませんでしたが、ようやく理想とするチームができあがったと、自信に満ちていましたので返す返すも残念でなりませんでした。
今年も甲子園大会の県予選も目前に迫りました。選抜大会でベスト8に進出し、準々決勝でPL学園に破れた母校野球部のチームを見て、どことなく30年前のチームとの共通点を感じています。打撃のチームであり、個々の選手の打球が速いことや不安定な内外野の守備、また、ピッチャーがアンダースローといった点などであります。
選抜大会で見えた弱点を修正するため積極的にコンバートを行って、夏の大会に臨むようでありますが、春の全県選抜ではその効果が現れず敗退しました。課題を克服して夏の県予選では圧倒的な勝利により、戦後、県内初めての3年連続の甲子園出場を果たし、さらに本大会では大輪を咲かせるよう健闘を祈念いたします。
OB諸氏も球場に足を運んでいただき、可愛い後輩に声援を送って頂ければ、幸いであります。
